男女差別の限界は化粧にも見えているかもしれない。
2017/04/01Author:
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たまには社会的な記事を書こうと思ったので、男女差別をお題にしてみました。
俺は以前から「女性は化粧があるじゃないか!ズルいぞ!!!」と思っていました。
化粧。
女性は99%化粧をします。日本ならね。
そして、化粧は一種の魔法かと思うほどに容貌を変えることができます。
もはや、整形レベルです。粘土を作ってるみたいなもんです。
女性は死に物狂いで、化粧を勉強して、実態とはかけ離れた虚像を作り出すのです。
これは何故か?
みんな化粧をするからです。
みんな、化粧をして実態以上の評価を受けるのに自分だけしない、という不利な選択をするわけがありません。
していない人は、逆に実利を取れていないと思います。勿体ないです。
正直な話、俺は化粧をしている顔が結構好きです。まあ、恋愛関係にある場合は素顔が好きですけどね。
殆どの男性は、化粧をしている顔が好きです。というか良くなった顔が好きです。
女性が男性のためだけに化粧をしているとは言いませんが、殆どの場合は男性のために違いありません。
それが、繁殖生物の性であり、外見重視の人類ということなのです。
しかし、ここで考えていただきたい。
化粧をした女が、化粧をしていない男性に外見で罵声を浴びせることが正義であるのか?について。
一般に化粧は、女性だけのものです。
男性も化粧品を購入することが可能ですが、世間の目は男性の化粧利用に厳しいものです。
※まあ、ビジュアル系の方は化粧をしても言われないでしょうけど、それはかなりの特例です。歌舞伎役者の白粉・隈取と何ら変わらない役割上の演出に違いないのです。
男性が化粧すると、「男性が化粧とかキモ・・・」とか言うでしょ?言わない・・・という少数派の意見は無視します。
これは明らかな性差別であり、違和感を感じざるを負えませんね。
何故、することが気持ち悪いのか?差別なく回答できますか?
- 化粧する男が少ないから?・・差別があるからできないんですよ?
- すればいいじゃない・・・差別されるからできないんですよ?
- 批判を受けてもすればいい・・・なんで批判される必要があるんですかねえ?
出来ないですよね。これが、女尊男卑の実例です。
そして、これは男性にも浸透している歪んだ差別なのです。
また、なぜ女性だけ化粧することに男性が違和感を感じないのか?
それは女性が男性よりも外見を重視されている社会だからです。
あえて言いたい。
女性は化粧をできる権利を得ているのではない。化粧をする義務を男性に課されているのであると。
男性はある程度の不格好をナントカできます。逆に不格好なら芸人などで言えるように笑いにも変えることができます。というか、金でなんとかなる。
一方、女性は難しい。現代では昔よりはナントカできるようになったが、女性の不格好は男性の不格好に比べて悪意のある評価を受けることがままある。そして、女性芸人がまだまだ少ないことからも分かるように、女性の不格好は笑いになりにくい・・・というか難しい。というのも痛々しいと周囲が感じてしまうからだ。
これは外見を女性に対して過度に要求する男性の実体であり、男尊女卑の差別の現実ではなかろうか。
美女と野獣はあり得るが、ブスとイケメンはかなり稀有なのである。
つまり、女性の化粧とは、男女相互の性差別ゆえに成り立っていることなのではないだろうか。
俺は言っておきたい。
男女差別がなくなることはない。ないようなふりをすることはできるけど。
男女差別がなくなるためには、
- 男性が女性を外見で選択しなくなる
- 女性が男性と同じ肉体労働ができるようになる
- 性別で逃げの選択をしない
- 男性が出産と同等のタスクを負う
- etc・・・
といったような、不可能な羅列が並ぶことだろう。
男女差別とは男性から女性への一つのベクトルで説明することはできない。
女性も差別しているのだ。
考えてほしい。欧米で女性が参政権を得た理由を。
それは世界大戦時に女性も兵器工場などで働いたという実績に裏付けられて、男性が決断したというだけなのだ。
義務は嫌だ。権利は得たい。・・・そんなことは無理なのだ。
権利は義務によって定義されるのだから。